読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日もココカラ

いつも心にフィルターをかけているぜきちゃんが、心の底にある気持ちを出して、少しずつフィルターを溶かしていくブログ

成宮の突然の引退を考える

f:id:toyano_ozeki0113:20161209231647j:image

今日、俳優の成宮寛貴が引退声明を出した。


薬物騒ぎネタで写真週刊誌に載ってワイドショー騒ぎになり、本人的にもプライバシーと一番近くで信頼していた人間に裏切られた事が理由だと言う。
消えてなくなりたい。なんて言う言葉の表現からも相当のショックを受けているのだろう。

元々成宮なんていう俳優のことはよく知らない。

相棒というドラマで活躍していたと言う程度しか知らない。


苦労人らしい。


ご両親に恵まれず、弟の学費を稼いで学校に行かせていた。なんていう話しもある。

 

そんな彼の今回の行動をテレビを通じて知った者としてい言いたいのは、

 

これを糧にして大きくなれ!!

 

今すぐじゃなくても良い

10年後でも良い

 

復活して大俳優になれ!!

 

勝手に色々と想像するに、

彼は、優しさと責任感に満ちていて相当頑張って生きてきたんだと思う。

 

本当は同年代の若者たちと同じように遊び楽しんで時間を過ごしたかったのを、自分を犠牲にして家族のために時間を費やした。

確かに俳優として成功して家族のための責任を十分に果たしてきた。

 

だけど自分に対しては、自分を律するあまり、本当の自分とのギャップにさいなまされてきてしまったのではないだろうか?

 

自分は家族を守る立場である以上、こうでなくてはいけないというテレビや世間の手前で見せなくてはいけない自分。

 

本当の自分ってなんだろう?とギャップを感じながら迷い探し続けたのか、それとも元々気付いていたのかは分かりませんが、自分の姿、セクシュアリティな姿

 

自分の本当の安住のすみか

 

それだけはマスコミやテレビや世間に知られたくない

 

なぜ、彼は自分に鎧をかぶせて俳優をしていたのだろう?

なぜ、彼は本当の自分をさらけ出すことにためらいを感じていたのだろう?

なぜ、彼は本当の自分を知られることを恐れ、ひたすら隠していたのだろう?

 

隠すことで守りたい何かがあったのだろうか?

 

そんな、なぜ?を考えれば、今回、この程度のスキャンダルで、引退表明をさっさと出してしまったことにはなんとなく分からなく無くもない。

 

きっと、絶望感で落ちるところまで落ち、立ち直れない気分になってしまったのだろう。


普通だったら自殺してもおかしくはない

 

だけど、彼は自殺なんて絶対にしない

守りたい家族があったのだから。

守りたい家族のための勇気と優しさを持った人間なのだから。

 

守りたいものを守るために自分の翼を休め安らぎを得る場所であった誰にも触られたくなかったプライバシー面

 

そこを掘り起こされた

 

まだ34才?まだ若い

 

いつか自分の本当の姿はいくら晒したって良いんだ

これこそ俺なんだ

そう自信を持って言えるようになった時こそ

また舞い戻ってこれるはず

 

これはきっと彼にとっての試練なのかもしれない

彼が大きく成長するためのステップなのかもしれない

 

またいつか堂々と舞い戻ってくれば、きっと大物俳優になるだろう

忘れている子供の頃のトラウマ

f:id:toyano_ozeki0113:20161202103728j:image

小学3年か4年か5年の頃かな?

 

トラウマ


初めて自分の容姿を大きくからかわれ、しつこくバカにされ、いつまでもなじられ、自分にとって深く傷つき無意識レベルで自分でも嫌いな部位になりました。


自分、天然パーマなんです。


天然パーマ、とか天パーとか、大嫌いな言葉です。
くせっ毛っていう言い方はまだ救われる言葉です。

 

チリチリ。

 

髪の毛が焼けて焦げた状態・・・

 

アムロのアタマに原爆おーちた♫、ひゅーう!ぼん!チリ♫」

 

アムロと言うのは当時のアダ名でガンダムアムロレイに似てたって事から。


当時のクラスメイトのK山君がよくからかうように俺の前で歌ってた。

 

ケンカはもちろん口ゲンカでも弱い俺は、悔しいと思いながらもヘラヘラ笑ってやり過ごすか、無視するか。


そんな対処の仕方だった。

 

それ以来、自分の髪の毛が嫌いだった。


スポーツ刈りが決まる直毛の友達が羨ましかった。


だからと言ってどうしようもなかった。

 

小4の頃だったかな?


髪を極限まで刈るとクセが直るなんて聞いたような・・・


だから、初めて五分刈りにした。

 

それでも変わらんかった。

 

アイロンパーマと言うのは、コテで直毛にしてくれると聞いて、やってもらった事もあった。

なんも変わらんかった。

 

顔の見た目にはコンプレックスがあった。
長いまつ毛がイヤでハサミで切った事もあった。

母親に泣かれた。

 

中学に入るときそんなに言われなくなった。
それでも容姿に対するコンプレックスは残っていた。

 

髪の毛が格好悪いからモテない
髪の毛が格好悪いから彼女が出来ない
髪の毛が格好悪いからバカにされる
髪の毛が格好悪いから相手にされない

 

そんな妄想に囚われていたかも知れない。

 

高校、大学、社会人になればそんな事忘れてきたし、なんであんな事で悩んでたんだろう?と無かった事のような感じに心の中で処理をしていた。

 

今思ってもさほどモジャモジャじゃないし、クセはあるけどなんとかなるレベル。
気をぬくと寝クセがでちゃったりはするけど。

 

それでも鏡で自分の顔や頭を近くで見たりして、気がつくとクセのある髪の毛を一本ずつ抜いていた。

 

長くなったのでここまで

つづく

 

つながりで商売するとは?

f:id:toyano_ozeki0113:20161129124523j:image

最近、コミュニティや繋がりの中で商売することの大事さが謳われている。
人とのご縁や人脈などは生きていく上でも商売をする上でも何よりも大切なことです。

しかし、そのご縁や人脈に縛られ、誰が自分のお客さんなのがを見失うような商売をしていると、とても危険が潜んでいるんだなって事が分かる出来事があった。

うちのスタッフが、ある商売の異業種交流会に参加していて、そこの繋がりで看板を作ってもらうことにした。
その異業種交流会の中には私の知り合いは沢山いましたが、私は入会していません。
その異業種交流会の中に入ったことがないので、詳しいことは知りませんが、主旨としては、仕事を頼むなら知らない人より知っている人、会の中で出来る人を紹介しあって、会の中で仕事を受注し合いましょう。ウインウインになりましょう。
という感じでしょうか。
だから、会の中の人達はすごく仲がよさそうで、繋がりの強さを感じ、団結を感じ、勢いや盛り上がりを感じます。

私もスゴイなぁ〜と感じていたので、
うちのスタッフも参加していることだし、彼女のつながりのある人に紹介してもらい看板を建てようと思いました。
看板自体は滞りなく、私も満足したものを建ててもらったので何も問題ないです。
建ててもらって良かったと思っています。

 

ただ、その営業の人にとってのお客さんは、私ではなかったみたい。

 

私の方に意識や関心が来ておらず、常に同じ異業種交流会仲間のうちのスタッフの方に目が向いていました。
3人で立ち話をする機会があっても、その異業種交流会の話ばかり。
看板を注文してくれたお礼に施術を受けに来てくれたようですけど、俺の頭越しに彼女とのやり取りのみ。
その後、彼女の自宅サロンにも施術を受けに行くらしい。

ま、別に看板を作ったお礼を俺にして欲しいなんて思ってないし、うちのお店に施術を受けに来てくれたことはありがたいと思ってます。

 

でも、なんだかなぁ〜って感じ。

 

看板を注文して、代金を払っているのは俺なんですけど・・・

 

今回の仕事に関してのお客さんは俺ではなくて、同じ異業種交流仲間の彼女がお客さんだったみたい。

 

仲間内で、仲間を大切にし、感謝しあい、絆を深め合うのは結構なことです。人脈を駆使して紹介し合うことも良いと思います。

でもね、別に俺に感謝しろなんて思ってないけど、なんなんだろうね、この気持ち。

 

誰がお客さんなのかを見誤ることはとても危険なことですね。自分の所属するグループ内の人ばかりを優先し意識が向き、所屬外の人をないがしろにする態度は、そんな事を露程にも思っていなくても、接すれば感じるし分かります。

違いがなければ知らない人より知っている人、信頼できるグループ内の方が仕事は得られるでしょう。
その為にどんな人脈を太くし、どんな付き合いを深くしていくか。


商売というのは、困っている人や興味のある人たちに、他との違いやメリットを届けることこそが道であると私は教わりました。

大きな組織に所属することは大きなメリットもあると思います。ただ、そのメリットを生かせるような業種の商売を自分がしているのか?を見極めることは大事ですね。
所属する会の大きさに惑わされて自分のお客さんが誰なのか?どこに居るのか?を見失ってしまうのは商売をやる上でとても危険を感じました。

 

もう私はこの方に仕事を頼むことはないでしょう。そして、この異業種交流会繋がりの紹介などを受けて何か仕事を頼むこともないでしょう。

 

商売は一人では出来ない、人との繋がりがないと商売にならない。特に紹介できてくれたお客様への接し方には気を配るよう心がけよう。

 

なぜしゃべれないのか?

f:id:toyano_ozeki0113:20161129090734j:image

今日読んでたネット上の記事の中で、年齢を実際より上にごまかしてたところを、ホントはもっと上だろ?と言われてしまった出来事で「そのころから落ち着いていて物怖じせず発言するタイプだったせいか、逆にサバ読んでいるんだと思われた。」という一文があった。

 

物怖じせず発言

 

俺っていつも物怖じして発言することを恐れているな・・・この年になっても。

 

発言することを恐れているというよりも、物怖じせず発言したことで周りに変な空気を呼んじゃったり、変に思われて相手にされなくなっちゃうんじゃないか。


そういう事への恐怖感がある。

 

だから、人といてもあんまり自分から話しをしたり、エピソードを話したり、ある出来事に対して思ったこととかを話したりしない。


会話の中で話すといっても、なんかわかったような口ぶりというか、一般論というか、当り障りのないことというか、つまらないことををしか発言しない。

 

人の話しというのは、人柄が表れるようなエピソードだったり、感情の揺れ動きだったり、本音が出たり、そんなのがあらわになったりするから面白いのだと思う。

 

だけど、俺の場合はそういう話をしない。しないというか出来ないのだ。

 

本音を出してしまうと皆が自分から離れていってしまうんではないか、という恐れを感じてしまう。

 

さて、どうしよう?

銀行さんお役所さん

f:id:toyano_ozeki0113:20161126003353j:image

今日は午前中から嫁さんと年末調整のために提出する申告書作りをしていました。


住宅ローン控除を去年の確定申告で提出したので今年は税務署から申告書が届いていました。


通常は銀行からも残高証明書が届くのですが届いていなかったので銀行に直接頼んでようやく届きました。


銀行や税務署などのお役所に問い合わせする時はコツが有ると思う。


彼らは自分の役割と淡々とこなしているだけなので、役割から外れたことに融通を利かすことはない。


だから情に訴えるようなことをしたり、ちょっとくらい良いじゃん、という気持ちで接すると、逆にイライラしてくる。


だから、こちらも淡々と話し、彼らの役割の範囲の中でどうやったら事務的にテキパキと進むか、彼らが動きやすいかを考えて対応すると意外に早くことが進む。


要するに向こうの土俵で相撲を取ってあげることが結果的に早く済むコツなのかな?


今回も申告書の書き方のルールに沿って書いたのに間違いを指摘されたので、どこが間違っているのか?だけを聞き、なぜ残高証明書が届かなかったのか?何がネックだったのか?だけを問い、相手の落ち度などは批判しないようにした。


そうすれば次回以降の対応にも理路整然と説明することができ、相手もそれにそって動きやすくなるというものだ。


お役所や銀行でのやり取りというのはイライラしたら負けである(笑

日本歴史勉強会

f:id:toyano_ozeki0113:20161124080223j:image
先日、講師業をしているマッキーさんが近現代の歴史の勉強会をするというので参加してきました。


マッキーさんは、商売の基本の勉強会や、古事記勉強会、覚悟の作り方勉強会、などのセミナーを新潟を中心に草の根的に開き、今では全国各地にひっぱりだこの人気講師です。


今回は近現代史を紐解いてくれるということだったのですが、上述のような勉強会をしているマッキーさんのことだから、単に事実を羅列するのではなく、古事記などを絡めて日本人がどんな在り方に基づいた行動だったのか?などを教えてくれると思い、とても楽しみにしていました。

 

(歴史とは?日本人とは?日本人が知るべき歴史とは?これから日本人として生きていくうえでの拠り所をどこにすべきか?などを教えてくれました。)

 

とても感動し、共感し、やっぱり日本人で良かった。と思えたので、それをこのブログで伝えていきたいと思います。

 

・日本の歴史を知らない世代


よくテレビや新聞などで、歴史問題、教科書問題、などがとりあげられます。
そうすると日本人が戦争で行った悪かったこと。などを理由にいろいろ批判を受けます。
その一方でGHQによって歪められた戦後教育によって、日本人としてのアイデンティティを失う恐れなどの話題も耳にしてきました。


私は、戦後第一次ベビーブームの子供世代、つまり第二次ベビーブーマーなのですが、我々の世代はそんな話を聞いた時、まるで他人事のような気がしたり、そういう日本人らしさの話しをしたり、国のことを想う事を話題にしたりすることがタブーな気がしたり、ダサい気がして、なんとなく避けたい気持ちになっているのでした。
そして欧米へのあこがれ、日本の文化への軽視、そんな意識が生まれながら子供時代を過ごしたのでした。

 

GHQは2度と日本が戦争を起こさないように、戦後改革を行いました。
その一環として教育が改革されました。
その内容は戦前の日本人の考えが悪かったから戦争を起こしたのであるから、戦争を起こさない民主的な考えの日本人に教育しようというものです。


大人になり、この7〜8年位の間でしょうか?その意味は、実は日本人の精神性を恐れた欧米人が、日本人をアイデンティティから壊し2度と欧米人に逆らえなくするための教育だと知ったのは。
そして、その教育をモロに受けてしまい、欧米に逆らえない自虐史観を持った人間に洗脳されてしまった世代は自分たちであることを。

実感として自分たちがその張本人だということに気づき始めたのはこの数年です。

 

教育問題で、日本人としてのアイデンティティを骨抜きにされてしまっている事なんて、まるで他人事で、まるで他国の話のようが気がしていて、まさか自分たちのことではないと思っていました。

それがまさか自分たちが、まさにその日本人を忘れさせられた日本人の第一世代だったなんて・・・

 

そう思うと悔しい思いが生まれてきました。
本来なら憎しみを抱いてよいはずの欧米に対して、自虐的史観のせいで憎めない自分。

 

それなら、過去の出来事で他人他国を憎むよりも、自分たちは日本人から見た日本の歴史を知らされていない世代なのだということを自覚し、今一度なんとかして、日本人がどう在ったのか?を知り、早く日本人らしさをとりもどし、それを生活の中で実践し、そして、次の世代に伝えていくことが何よりも大切な事なのではないかと思います。

 

その一歩として日本人から見た日本人としての歴史を知り、江戸時代までの日本人がどんなアイデンティティを持って生活していたか、そして明治維新後、近代化・グローバル化の波の中で日本人として何をしてきたのかを知り、整理していくことから始めたいと思います。

技術・スキル・スペック厨

f:id:toyano_ozeki0113:20161122102109j:image

とって、入れて、出す

 

いままで技術や、スペックが高いことが大事なことだと思ってた

何かのスキルを高めることが、人に尊敬され、自分の収入につながり、生活が出来ると思っていた。

一所懸命技術を高め、知識を深め、スキルを使って施術することが患者の為になると思っていた。

スベックが高まって色々なことが便利になる事だけが良いことだと思ってた。

キチンとしていることが良いことだと思ってた。何事もなくスムーズに行くことが良いことだと思ってた。

 

違うんだ

 

大事なのはエピソードなんだ。

 

交わりなんだ。

 

どんな風に思ったか、お互いの想いを交わし合うことが大事なんだ

 

技術やスペックや便利さは、想いを交わし合うネタにすぎないんだ。

ネタはなんでも良いんだ。

 

想いを交わし合い、楽しむことこそが人生なのだ

 

ネタはなんでも良いんだ。

 

ひとりぼっちでは変化が起きない

 

何もなかったように過ごすのはとても寂しいことだ

 

違和感を感じて、それと向き合い言葉にすること

 

それが人間なんだ。

 

・・・・なんて、思ったことをつらつら書いてみる